2017年10月5日 NHK「SONGS 小沢健二 今、僕が届けたい音楽とことば」文字起こし

(ナレーション:戸次重幸さん)

SONGS、小沢健二が初登場。今年、19年ぶりにシングルを発表し、注目を集めた。今夜は、その話題曲から色褪せぬ名曲まで、たっぷり届ける。

(1995年紅白歌合戦「ラブリー」の映像)

90年代、オザケンと呼ばれ、渋谷系の王子様としてブレイク。都会的なサウンドと文学的な歌詞でJ-POPに革命を起こした。

(「今夜はブギー・バック」のライブ映像)

しかし、1998年に日本での音楽活動を休止。ニューヨークに拠点を移して、結婚。二児の父にもなった。今夜は、家族と友人たちを招いたライブ。特別に書き下ろしたモノローグで、今の思いを伝える。オザケンの頭の中に浮かんでいる「ことば」とは? あふれる思いを詰め込んだ、ちょっと不思議なオザケンワールド、届ける。

モノローグ「文化が、町をつくる」

日本中に届く NHKの電波で、何を届けよう? やっぱり、自分に身近な、本当の話をしよう。

僕の妻は、イギリスとアメリカのハーフで、息子たちは、日本とアメリカのハーフ。 でも「ハーフ」というのは、「ハーフムーン」とか「ハーフサイズのサンドイッチ」というように、「半分の」という意味。だから、英語人には、「ハーフの日本人」というと、「半分しか日本人じゃない人」と聞こえたりする。いつか、「ハーフ」という言葉は、「ダブル」とか「デュアル」に、自然と変わっていくだろう。

うちのダブルの長男は、4歳で、散歩が大好き。日本にいる時、彼はある、不思議で奇妙な物体の前で必ず立ち止まる。その物体の扉が開いていれば、長男は、嫌がる犬のように足を踏ん張って、その場から動かなくなる。

その物体とは、自動販売機。彼から見ると、自販機は、宇宙から降りてきたロボットのように、不思議に光る姿で、じっと町を見ている。こんなに国の隅々まで自販機がある国は、僕は日本しか知らない。自販機の中には、お金や水が入っている。ニューヨークのブルックリンに自販機を置いたら、次の朝には丸ごとなくなっている気がする。

一方、日本では、誰もいない、盗むのに絶好な山奥でも、自販機は何年も、100円玉をため込みながら、静かに過ごす。旅行者たちは、驚く。「お金の入ったロボットが、国中に立っているなんて、なんて特殊な国!」と。

日本列島では、宇宙からやってきた自販機たちが、新しいドリンクの宣伝をしながら、今日も朝を迎える。自販機泥棒は、不思議なくらいいない。そういう日本の社会は、要するに、みんなが持っている文化が、作っている。人びとの文化は、町を作る。都市を作る。みんなが持っている、ガラパゴスとも言われる驚くべき文化が、驚くべき町を、都市を作っている。

僕らは今、その一つ、渋谷にいる。渋谷NHK、101スタジオより、日本じゅうに、ソングス、つまり、歌たち、を届けます。小沢健二です。(客席拍手)

♪シナモン(都市と家庭)

クレジット Vo&A.G: 小沢健二 Dr: 白根佳尚 Syn.Ba: 中村キタロー Gt: KASHIF(PPP) Gt: コジロウ Conga: 及川浩志 Key: 西村奈央 Cho: 一十三十一 Cho/テルミン/ドラムパッド: HALCA

(1996年 ポップジャム「痛快ウキウキ通り」ライブ映像)

(ナレーション)

ポップスターとして時代をリードしていた1998年、突然音楽活動を休止した。その後、自分を見つめなおすため、アフリカや南アメリカなど、さまざまな国を旅した。19年経った今年、日本での音楽活動を本格的に再開。今までの人生を、どう考えているのか。

小沢「今回、僕はSONGSの制作チームから、「なぜ芸能界から姿を消したのか」など、自分の過去を語ることを頼まれた。ちょっと考えがあって、以下のモノローグでお答えすることにした。題して『三割増し』」

モノローグ「三割増し」

今時、人はネットに自分の暮らしをアップする。ソーシャル・メディアには、すてきな食べ物の写真が並ぶ。が、もちろん、アップした人の生活は、本当は写真ほどすてきではない。

友人は言う。「今は大変ですよ。自分を三割増しに見せるために、高校生の男子でも、背景や小道具を選んで、自撮りしなきゃならないんですから」と。友人は続ける。「みんな、どこかに行ったから写真を撮った」というフリをしてますが、本当はそもそも、写真を撮るために、そこへ行ってるんですよ」彼女は、いたずらっぽく笑う。

人が自分をよく見せようとするのは、自然。歴史の授業では、「日本書紀には、当時の政府が自分をよく見せるために作った神話が混じっている」と、教わる。国も、人も、自分をよく見せようとする。

婚活サイトに並ぶ、見栄えのいい写真やプロフィールは、アップした人自身が作った、神話なのだろう。しかし、現実は厳しい。婚活サイトで出会った人とカフェで待ち合わせして、一目見た瞬間、お互いの神話は崩れる。そうか! メガネをかけて、斜め上から撮れば、あのプロフィール写真になるのか。確かに(悔)! と、過去の写真の仕組みが一瞬でわかる。現在というものには、一瞬で過去のすべてを見せる力がある。

さて、僕がSONGSで過去を語ることを頼まれて、「じゃあ」と切々と過去を語ったら、僕も婚活サイトの写真のように、自分をよく見せてしまうかもしれない。自分についての、神話を作ってしまうかもしれない。斜め上から写真を撮るように。

しかも、実は、本人が語る本人の過去なんて、人は内心、話半分に聞く。だったら、現在の自分の眼に見えるものを、報告したほうがいい。その報告が、過去の自分を説明する、 とも思っています。神話は、とてもおもしろいものだけど。

天使たちのシーン〜愛し愛されて生きるのさ メドレー Vo/Gt: 小沢健二 Tp: タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)

モノローグ「英語のテスト」

何よりも、身近で、本当の話をしたい。 よく、「日本人は学校で6年以上も英語を習うのに、なぜか英語がしゃべれない」と、言われる。僕はよく、人が英語で妻に話しかけるのを聞くが、大学まで英語の教育を受けた人が全然妻と話せなかったりする。

それを見ていて、気がついた。おそらく「日本人は何年も学校で英語を習うのに、英語がしゃべれない」という言い方は正しくない。本当はたぶん、「日本人は何年も学校で英語を習うからこそ英語がしゃべれない」のだと思う。多くの人にとって英語は、人と話すための道具ではなくて、テストの科目になってしまっている。だから、英語を喋る状況になると、自分の学力を問われている気がして、ガチガチに緊張して、ビクビクしてしまうのだと思う。

見ていると、気のせいかもしれないが、大学に行かなかった友人たちには、「英語の成績なんて悪かったから、間違えても全然平気」という気楽さを感じる。一方で、いわゆる「高学歴組」には、「ここで発音や文法を間違えたら、みんなの前で大恥をかくことになる」みたいな緊張感を感じる。

学校のテストは、間違えるたびに、百点満点から減点されていく、減点法。テストで点を取るには、間違えない力が必要。ところが、外国語を喋るには、実は間違える力が必要なのだ。外国語は、間違えながらトライするもの。そして、意味が一つ通じるたびに、1点1点、加点法で心が通じていく。ところが、「英語の成績良かったです」組は、間違えてはダメ、と思っているから、正しい言い方を探しているうちに話すタイミングを逃したり、間違いが怖くて、人に話しかけられなかったりする。彼らは、間違える力を失ってしまったのだ。

学校のテストでついた、間違えてはいけない、という恐怖。その恐怖から、自由になりたい。英語だけの話ではない。この世は結構、減点法ではなくて、加点法で動いている。小さな子どものような、間違える力を、持ちたい。と、僕自身についても、いつも思う。

♪流動体について Vo&E.G: 小沢健二 Dr: 白根佳尚 Ba: 中村キタロー Gt: コジロウ Bongo: 及川浩志 Key: 西村奈央 Cho: 一十三十一 Cho/テルミン/ドラムパッド: HALCA

モノローグ「重なり合う二つの姿」

今、僕は日本を歩いていると、その日本は、そう、ダブルに見える。ダブルの一つは、僕が子どもの頃から馴染んだ日本。すべてが普通で、慣れていて、なんでもない日本。もう一つは、ショックなくらい奇妙で、独特で、しかもその奇妙さや独特さが、なんでもないこととして進行している、超どビックリな日本。その日本は、目新しくて、魅力的で、ドキドキする。指さして、ほら、ここ、ここ見えてる? と、友達に話しかけたくなる。ほら、自販機、ほら、英語しゃべる時ガチガチ。と。

外へ出る。歩いている。すると、なんでもない日本を歩いていたはすが、突然、衝撃的にエキゾチックな日本に投げ込まれてしまう。僕にとって日本は、重なり合う二つの姿で、その二つは、突然入れ替わる。なんでもない日本と、良い意味で、とんでもない日本。羽田空港に着く時、上空から、その両方が見える。重なり合う、二つの姿。ダブルに重なる、東京。昔は見えなかったその姿を、音楽や、ことばで、一生懸命、綴ろうと思います。NHK渋谷、今日はどうもありがとう。