2017年10月5日 NHK「SONGS 小沢健二 今、僕が届けたい音楽とことば」文字起こし

(ナレーション:戸次重幸さん)

SONGS、小沢健二が初登場。今年、19年ぶりにシングルを発表し、注目を集めた。今夜は、その話題曲から色褪せぬ名曲まで、たっぷり届ける。

(1995年紅白歌合戦「ラブリー」の映像)

90年代、オザケンと呼ばれ、渋谷系の王子様としてブレイク。都会的なサウンドと文学的な歌詞でJ-POPに革命を起こした。

(「今夜はブギー・バック」のライブ映像)

しかし、1998年に日本での音楽活動を休止。ニューヨークに拠点を移して、結婚。二児の父にもなった。今夜は、家族と友人たちを招いたライブ。特別に書き下ろしたモノローグで、今の思いを伝える。オザケンの頭の中に浮かんでいる「ことば」とは? あふれる思いを詰め込んだ、ちょっと不思議なオザケンワールド、届ける。

モノローグ「文化が、町をつくる」

日本中に届く NHKの電波で、何を届けよう? やっぱり、自分に身近な、本当の話をしよう。

僕の妻は、イギリスとアメリカのハーフで、息子たちは、日本とアメリカのハーフ。 でも「ハーフ」というのは、「ハーフムーン」とか「ハーフサイズのサンドイッチ」というように、「半分の」という意味。だから、英語人には、「ハーフの日本人」というと、「半分しか日本人じゃない人」と聞こえたりする。いつか、「ハーフ」という言葉は、「ダブル」とか「デュアル」に、自然と変わっていくだろう。

うちのダブルの長男は、4歳で、散歩が大好き。日本にいる時、彼はある、不思議で奇妙な物体の前で必ず立ち止まる。その物体の扉が開いていれば、長男は、嫌がる犬のように足を踏ん張って、その場から動かなくなる。

その物体とは、自動販売機。彼から見ると、自販機は、宇宙から降りてきたロボットのように、不思議に光る姿で、じっと町を見ている。こんなに国の隅々まで自販機がある国は、僕は日本しか知らない。自販機の中には、お金や水が入っている。ニューヨークのブルックリンに自販機を置いたら、次の朝には丸ごとなくなっている気がする。

一方、日本では、誰もいない、盗むのに絶好な山奥でも、自販機は何年も、100円玉をため込みながら、静かに過ごす。旅行者たちは、驚く。「お金の入ったロボットが、国中に立っているなんて、なんて特殊な国!」と。

日本列島では、宇宙からやってきた自販機たちが、新しいドリンクの宣伝をしながら、今日も朝を迎える。自販機泥棒は、不思議なくらいいない。そういう日本の社会は、要するに、みんなが持っている文化が、作っている。人びとの文化は、町を作る。都市を作る。みんなが持っている、ガラパゴスとも言われる驚くべき文化が、驚くべき町を、都市を作っている。

僕らは今、その一つ、渋谷にいる。渋谷NHK、101スタジオより、日本じゅうに、ソングス、つまり、歌たち、を届けます。小沢健二です。(客席拍手)

♪シナモン(都市と家庭)

クレジット Vo&A.G: 小沢健二 Dr: 白根佳尚 Syn.Ba: 中村キタロー Gt: KASHIF(PPP) Gt: コジロウ Conga: 及川浩志 Key: 西村奈央 Cho: 一十三十一 Cho/テルミン/ドラムパッド: HALCA

(1996年 ポップジャム「痛快ウキウキ通り」ライブ映像)

(ナレーション)

ポップスターとして時代をリードしていた1998年、突然音楽活動を休止した。その後、自分を見つめなおすため、アフリカや南アメリカなど、さまざまな国を旅した。19年経った今年、日本での音楽活動を本格的に再開。今までの人生を、どう考えているのか。

小沢「今回、僕はSONGSの制作チームから、「なぜ芸能界から姿を消したのか」など、自分の過去を語ることを頼まれた。ちょっと考えがあって、以下のモノローグでお答えすることにした。題して『三割増し』」

モノローグ「三割増し」

今時、人はネットに自分の暮らしをアップする。ソーシャル・メディアには、すてきな食べ物の写真が並ぶ。が、もちろん、アップした人の生活は、本当は写真ほどすてきではない。

友人は言う。「今は大変ですよ。自分を三割増しに見せるために、高校生の男子でも、背景や小道具を選んで、自撮りしなきゃならないんですから」と。友人は続ける。「みんな、どこかに行ったから写真を撮った」というフリをしてますが、本当はそもそも、写真を撮るために、そこへ行ってるんですよ」彼女は、いたずらっぽく笑う。

人が自分をよく見せようとするのは、自然。歴史の授業では、「日本書紀には、当時の政府が自分をよく見せるために作った神話が混じっている」と、教わる。国も、人も、自分をよく見せようとする。

婚活サイトに並ぶ、見栄えのいい写真やプロフィールは、アップした人自身が作った、神話なのだろう。しかし、現実は厳しい。婚活サイトで出会った人とカフェで待ち合わせして、一目見た瞬間、お互いの神話は崩れる。そうか! メガネをかけて、斜め上から撮れば、あのプロフィール写真になるのか。確かに(悔)! と、過去の写真の仕組みが一瞬でわかる。現在というものには、一瞬で過去のすべてを見せる力がある。

さて、僕がSONGSで過去を語ることを頼まれて、「じゃあ」と切々と過去を語ったら、僕も婚活サイトの写真のように、自分をよく見せてしまうかもしれない。自分についての、神話を作ってしまうかもしれない。斜め上から写真を撮るように。

しかも、実は、本人が語る本人の過去なんて、人は内心、話半分に聞く。だったら、現在の自分の眼に見えるものを、報告したほうがいい。その報告が、過去の自分を説明する、 とも思っています。神話は、とてもおもしろいものだけど。

天使たちのシーン〜愛し愛されて生きるのさ メドレー Vo/Gt: 小沢健二 Tp: タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)

モノローグ「英語のテスト」

何よりも、身近で、本当の話をしたい。 よく、「日本人は学校で6年以上も英語を習うのに、なぜか英語がしゃべれない」と、言われる。僕はよく、人が英語で妻に話しかけるのを聞くが、大学まで英語の教育を受けた人が全然妻と話せなかったりする。

それを見ていて、気がついた。おそらく「日本人は何年も学校で英語を習うのに、英語がしゃべれない」という言い方は正しくない。本当はたぶん、「日本人は何年も学校で英語を習うからこそ英語がしゃべれない」のだと思う。多くの人にとって英語は、人と話すための道具ではなくて、テストの科目になってしまっている。だから、英語を喋る状況になると、自分の学力を問われている気がして、ガチガチに緊張して、ビクビクしてしまうのだと思う。

見ていると、気のせいかもしれないが、大学に行かなかった友人たちには、「英語の成績なんて悪かったから、間違えても全然平気」という気楽さを感じる。一方で、いわゆる「高学歴組」には、「ここで発音や文法を間違えたら、みんなの前で大恥をかくことになる」みたいな緊張感を感じる。

学校のテストは、間違えるたびに、百点満点から減点されていく、減点法。テストで点を取るには、間違えない力が必要。ところが、外国語を喋るには、実は間違える力が必要なのだ。外国語は、間違えながらトライするもの。そして、意味が一つ通じるたびに、1点1点、加点法で心が通じていく。ところが、「英語の成績良かったです」組は、間違えてはダメ、と思っているから、正しい言い方を探しているうちに話すタイミングを逃したり、間違いが怖くて、人に話しかけられなかったりする。彼らは、間違える力を失ってしまったのだ。

学校のテストでついた、間違えてはいけない、という恐怖。その恐怖から、自由になりたい。英語だけの話ではない。この世は結構、減点法ではなくて、加点法で動いている。小さな子どものような、間違える力を、持ちたい。と、僕自身についても、いつも思う。

♪流動体について Vo&E.G: 小沢健二 Dr: 白根佳尚 Ba: 中村キタロー Gt: コジロウ Bongo: 及川浩志 Key: 西村奈央 Cho: 一十三十一 Cho/テルミン/ドラムパッド: HALCA

モノローグ「重なり合う二つの姿」

今、僕は日本を歩いていると、その日本は、そう、ダブルに見える。ダブルの一つは、僕が子どもの頃から馴染んだ日本。すべてが普通で、慣れていて、なんでもない日本。もう一つは、ショックなくらい奇妙で、独特で、しかもその奇妙さや独特さが、なんでもないこととして進行している、超どビックリな日本。その日本は、目新しくて、魅力的で、ドキドキする。指さして、ほら、ここ、ここ見えてる? と、友達に話しかけたくなる。ほら、自販機、ほら、英語しゃべる時ガチガチ。と。

外へ出る。歩いている。すると、なんでもない日本を歩いていたはすが、突然、衝撃的にエキゾチックな日本に投げ込まれてしまう。僕にとって日本は、重なり合う二つの姿で、その二つは、突然入れ替わる。なんでもない日本と、良い意味で、とんでもない日本。羽田空港に着く時、上空から、その両方が見える。重なり合う、二つの姿。ダブルに重なる、東京。昔は見えなかったその姿を、音楽や、ことばで、一生懸命、綴ろうと思います。NHK渋谷、今日はどうもありがとう。

2014年3月20日「笑っていいとも!」小沢健二出演回 文字起こし

タモリ「参りましょう、今日はなんと16年ぶりのテレビ出演、ええ〜(驚)。小沢健二くんです。どうぞー!」

小沢・タモリ「お久しぶりです、ありがとうございます」

タモリ「どうぞどうぞ。えー、テレビが16年ぶり」

小沢「そうなんですよ。最後に出たのが、えーと、僕が覚えてたんでスタッフに確認してもらったんですけど、1998年の元旦に、あの、お正月の夜の番組あるじゃないですか、いろいろバラエティみたいなやつ、あれに出たのが最後で、それから…出てなくて。で、その時に司会がタモリさんだったんですよ」

タモリ「あー、そうそうそう」

小沢「で、その時のメンツはドリカムとシャ乱Q華原朋美さんと、オザケンと(笑)」

タモリ「そうそう、豪華なメンバーだったんですよ」

(お花紹介:椎名林檎スカパラ、スチャダラ、チャットモンチーあやまんJAPANよゐこ、株式会社ケンテック など)

タモリ「今、ほとんどアメリカでしょ?」

小沢「えーと、手短に言うと、16年ぐらいの間、10年ぐらいはニューヨークで、3年ぐらいは、えーと、中南米やアフリカとかアジアとか第三世界と言われるところで、あと1年ぐらいはアメリカのロサンゼルスとかニューメキシコとかそういうところです。 でもコンサートは4年前(2010年)から復活しているので、えーと、そのうち1年ぐらいは日本に来ていて」

タモリ「えー、その、中南米とか、何ヶ月か住むの?」

小沢「そうですね。ホテルに泊まるのがあまり好きじゃないので、もういきなり部屋…家みたいなものを借りて、ちゃんと市場に買い物に行ってっていうのをやってます」

タモリ「自分でだいたいご飯作って」

小沢「そうですね。あの、妻もそういうのが好きなので」

タモリ「あ、奥さんも、子供ももういるんですけども。(客席:ええ〜) あ、じゃあ一緒に行くの、3人で?」

小沢「いや、3人っていうか、子供は9ヶ月前に生まれたばっかりなので(笑)」

タモリ「あー、そうかそうか」

(客席:拍手)

タモリ「さっきいましたよ。かーわいいんですよ、おとなしくて」

小沢「いや、なんか、タモリさんにせっかくだから会ってもらって…」

タモリ「奥さんアメリカ人?」

小沢「はい」

タモリ「えー、じゃあ2人で行って、え、中南米とあとどこ?」

小沢「けっこういろいろ、アフリカも行ってましたね、けっこう長く。南アフリカはけっこういろんな、なんだかんだトータルで4ヶ月ぐらい居ましたね」

タモリ「な、何やるの、その辺フラフラ?」

小沢「その辺フラフラ。うん、それはとても好きですけど、やっぱり、なんていうのかな、勉強したいというか、どんな風になっているのかな〜という、世の中どんなところなんだろうというのを見るのに、やっぱり旅行するのはすごくいいので、タモリさんもぜひ、ご勇退なされたら…」

タモリ「いいですねぇ。ええ、行きますよ。子供が生まれたら、さすがにまあ、ずっとアメリカに?」

小沢「そうですね。ずっとニューヨークで…。もうさすがにエチオピアとかは行けないですね(笑)。子供連れは良くないと思います。過酷なところはダメです。」

タモリ「過酷なところはどこなの?」

小沢「コカ…カコク…?(かみ気味)、エチオピアは過酷ですよやっぱり」

タモリ「どういう風に過酷なの?」

小沢「エチオピアは…外国人が来ると、「ファランジ」っていう言葉があるんですけど、「ファランジ・ファランジ」って言って追っかけるっていうのが…」

タモリ「追っかけられるの?」

小沢「そうなんですよ。だから、歩くと100人ぐらい後ろから「ファランジ・ファランジ」って言って追っかけられるっていうのがあって。でもすっごく綺麗でほんと素晴らしいんですけど、子供がとにかくその、追っかける習慣が、プレッシャーがあって、外に出るとダーって…」

タモリ「追っかけて何をするの?」

小沢「いや、何も、全然物ねだるとかじゃなくて」

タモリ「いじめるとかいうこともない?」

小沢「いじめるとかでもなくて、うーん、どういうつもりなんでしょうね」

タモリ「へえ〜(笑)。じゃあ、外出る時はそれ覚悟して行かなきゃいけない」

小沢「そうですね。「ファランジ」ってまた言われてるなって思いながら行くんですけど、でもだんだん長くいるとだんだん慣れてきて、向こうも、「ああ、あいつね」みたいな感じになりますよ」

タモリ「面白いとこだね〜」

小沢「あとはやっぱり、高地の…高いところで、空気が薄いところは辛いですね」

タモリ「はぁ〜。メキシコシティだって高いよね」

小沢「メキシコシティは、僕よく行くのですが、あそこはまだまだで、ボリビアのラパスっていうところが…」

タモリ「ああー、ラパス」

小沢「標高4000mで富士山より高いんですね」

タモリ「そう、ラパスはそうだよねえ」

小沢「で、僕ラパスはトータルで4ヶ月…5ヶ月…ボリビアに6ヶ月ぐらい居たことがあるので、居るんですけども、本当に大変で、息(維持?)するのが」

タモリ「富士山でも高山病になるぐらいだからね」

小沢「お酒、飲めないんですよ」

タモリ「え、どうなるの?」

小沢「えっ、バクバクバクバク…(心臓を押さえるジェスチャー)、危ないんですよ。みんな気をつけてください」

タモリ「現地の人は飲んでるんでしょ?」

小沢「現地の人は平気なんですけど、現地の人は逆に下りてくるとお酒飲めないんですよ」

タモリ「逆なんだ」

小沢「足がバーッて膨れちゃうんで」

タモリ「ええ〜、ああ、そう(笑)。でも、ラパスって鉄道売ってる(?)よね」

小沢「昔は鉄道あったんですけど、今はけっこう埋もれちゃっていて、で、今は全部バスで移動なんですけど、そのバスが必ず、ハイエースなんですよ」

タモリ「え?」

小沢「ハイエース。日本のハイエースが必ずバスで走ってて、で、日本の中古車が行くんで、「ナントカ幼稚園」とか書いてあるんですよ」

タモリ「そのまま使ってるんだ(笑)」

小沢「そのまま使ってますね。それで、「京都ナントカ寺」とか書いてあるんですよ」

タモリ「あはは(笑)不思議な光景だよね」

小沢「でもすごくやっぱ、日本の車は素晴らしいなと」

タモリ「あ、そうだ、地下鉄丸ノ内線の古い車両はアルゼンチンで走ってるらしい。それも全部そのままで、ゼン・ショウ・ト・キ・イリ(※車両番号?すみませんここがよくわからず)とか書いてある」

※フォロワさんに教えていただき追記(ありがとうございます!) 「丸ノ内線の話は、"前照灯"の"入/切"(オン/オフ)のことかと。」

小沢「書いてありますね。あります。あれはなんかグッと来るものがありますね」

タモリ「すごいね〜。でも、住むところはアメリカがいい?」

小沢「ニューヨークは…住んでいてラク。でもそれはあまり、みんなが「目黒区が好き」とかいうのと変わらなくて」

〜CMへ〜 ここから未公開シーン(増刊号より)

小沢「ありがとうございます」

タモリ「アフリカ、興味あるしね」

小沢「ぜひ。是非是非。どこなりと…」

(スタッフの方がギターを持ってくる。客席から歓声)

タモリ「歌ってくれるんですよ。あれ、えっと、2010年のライブ盤ですか、3枚組の」

小沢「あれは2010年のライブですね」

タモリ「あれ聴きましたよ」

小沢「えっ本当に?えええ〜〜⁈(動揺) あいやいや〜…」

タモリ「あれ、途中で文章読むのいいね」

小沢「いや〜…スミマセン(恐縮)」

タモリ「あれ、いいよ。あの「自転車」(モノローグ)ってあったでしょ。あれ、1人で聞いて大笑いした(笑)」

小沢「ああ〜スミマセン(お辞儀)。もう、帰っていいです、もう今日は(笑)」

タモリ「あれ、1人で笑っちゃったよ」

小沢「もう…目的は果たしました」

タモリ「いいんだよ、あれ」

小沢「もう…子供もいるし(笑)このままどっかへ消えても問題ない…(かなり動揺w)。 でも、妻と話していると、ああいう話ばっかりで、妻が日本に来ると、ああいう発見ばっかりしてて」

タモリ「ああ〜」

小沢「みんなこう、お辞儀しながら後ろに下がってく人いるよね、とか」

タモリ「見ると不思議だよね(笑)」

〜未公開シーン(CM中)ここまで〜

タモリ「今日は歌っていただける」

小沢「はい、もちろん。」

タモリ「いいねぇ。いいですね、目の前で聴けるっていうのは」

小沢「タモリさんと、そして番組のスタッフのみなさんへ」

♪ぼくらが旅に出る理由〜さよならなんて云えないよ(♪〜ただ抱きしめるのかと、のあとに「長い間お疲れ様でした。」)〜それはちょっと〜ドアをノックするのは誰だ? メドレーを弾き語り😭

タモリ「いや、贅沢だねぇ。あれはいい歌なんですよ。「さよならなんて云えないよ」ってのは好きな曲なんですよ」

小沢「ありがとうございます。あそこは、タモリさんに、♪左にカーブを曲がると、っていうさっき歌ったところを、なんていうのかな、もうほんとに本質をバシッと突かれて、やっぱり本当、歌詞って面白いし…」

タモリ「面白いね。(小沢くんの歌詞は)特に面白い」

小沢「ありがとうございます。ほんと光栄です」

〜CMへ・未公開シーンその2ここから〜

今夜はブギー・バック」弾き語り(オペラシティのバージョンに近い、ラップ部分が語りのもの)

〜未公開シーンその2ここまで〜

アンケートのコーナー(100人中何人が該当するかを当てる)

小沢「えーと、搭乗券を持って飛行場へ向かって、飛行機に乗ろうと一生懸命行ったんだけれど、間に合わなくて、ダメですと言われて乗り遅れてしまった人」

タモリ「おー、(そういう経験)あるの?」

小沢「僕あります(笑)」

タモリ「100人中何人?」

小沢「11人!」

(結果は100人中16人で…)

タモリ「けっこういるねえ」

小沢「けっこう遅れる…」

タモリ「けっこう遅れるんだね、16%いるってことだもん」

(文字起こしここまで)

2017年9月8日 ミュージックステーション「小沢健二とSEKAI NO OWARI」出演部分文字起こし

タモリ「続いては、小沢健二SEKAI NO OWARIです」

全員「よろしくお願いしまーす」

ナレーション: 9月4日、ある重大発表が。 「小沢健二SEKAI NO OWARI」のコラボか発表。この情報にネットも大反響。

一見、関係性の無さそうなこの2組、実は意外な繋がりが。それが… 94年発売の大ヒット曲「今夜はブギー・バック」でコラボしたスチャダラパーBOSEの奥さんの、元あやまんJAPANファンタジスタさくらだの同じ小学校の幼なじみが、FukaseSaoriNakajinなのだ。

そんな2組は2年前、ニューヨークで親交を深め、今回のコラボに発展したという。 この後、話題のコラボ「小沢健二SEKAI NO OWARI」が30名のオーケストラとともにテレビ初パフォーマンス。

タモリ「お互い一緒にやってみてどうですか?」

Nakajin「これ大変光栄なことだったんですけど、レコーディング中も、すごい、僕たちが試したアイデアとか、やった演奏とかに対して、すごい誰よりも幸せそうに反応して、うれしく…」

Saori「フフフ」

小沢「いや、だって本当に楽しかったですよ。もう、刺激バリバリ受けたし。」

Nakajin 「それがもう、持ち上がっちゃってね。浮かれたよね。」

小沢「なんかもう、ぐるぐる渦を巻いてたよね。エネルギーが(渦を巻くジェスチャー)」

タモリ「はぁ〜。これでも本当にあの、もともと一人で歌うのは大変な歌(?)だよね。」

小沢「そうそう、一人で歌う…。ライブでもともとやったんですけど、もっともっと大きく強くなんなきゃならないって思った時に…思ってたら、なんか自然に導かれて、ああもうこれしかないと思って。本当に、計算とかマーケティングとかなんもないです。本当ですこれは。」

Saori 「すごく光栄な…」

タモリ「歌って、二人どうですか?相性っていうかそういう…」

Fukase&小沢「ど…いや…」

小沢「僕は最高だと思ってます。」

Fukase「僕も最高…僕は、あの、すごい光栄だなと思ってます。」

小沢「僕も光栄だと思ってます。」

Fukase「どんどん引き出されていった感じですね、楽曲をもう、小沢さんの…」

小沢「僕も本当にどんどん引き出されて…」

Fukase「とっても楽しかったです。」

小沢「本当素晴らしかったです。」

タモリ「歌詞はどうですか」

(小沢:口を開けて驚くリアクション)

Fukase「歌詞は、本当に聞けば聞くほどどんどんどんどん新しい発見があるような感じがしてて、本当は最初、こう、お話いただいた時に、僕が…僕なんかが歌っていいのかなと思ったんですけども、ちょっとずつ、頑張って…」

小沢「いや、もう、すごい…」

Fukase「小沢さんがいいって言ってくださるんで」

小沢「いやいやいや、もう、やってる間どんどん歌詞が強くなって……」 (CMへ)

「フクロウの声が聞こえる」演奏

おまけ: エンディングにて

弘中アナ「さあ、福山さんは1年ぶりのご出演でした。いかがでしたか?」

福山「はい、あのー、小沢さんとすごくたくさん話せて楽しかったです。」

(小沢:頷くリアクション)

弘中アナ「ありがとうございます。」

2017年4月24日「Love music」小沢健二特集 文字起こし

(字幕:ファンの目線から1組のアーティストを掘り下げる「LINER NOTES」。

小沢健二氏は収録の場所にパークハイアット東京を指定した。)

 

小沢健二

今夜はブギーバック」を、えーっと、スチャダラパーと作った時に、おんなじ、あの、マンションに住んでいて。ところがそのマンションっていうのは、こう、鍵みたいなのがかからない、誰でも部屋にどこまでも来れちゃうやつだから。マスコミの人や一般の方が来てることが増えちゃって。それだけど突然引っ越しなんか出来ないから、それで、こことかいくつかのホテルに逃げ込んでいることが多くて。

今も上がってきて思ったんですけど、不思議なぐらい変わってなくて。あの変わらないエレベーターに乗って、変わらないタイミングであそこで一回止まって、エレベーターが開いて、新宿の街が外に見えてっていう時に、やっぱり「強い気持ち・強い愛」の歌詞を思い出しました。あー、ここだったなあ、と思って。「空へ高く映し出された高層ビルのすぐ下」っていうのを書いたなって。

東京はもうそういう「あそこでこれ書いたな、ここでこれ書いたな」っていうことの思い出ですごくいっぱいで。いつもどこかで書いては消し、書いては消し、やっていて。特に長く残る力のある曲を…書い、メロディを書いたとことか歌詞を書いたとこっていうのは、その時のことをものすごく鮮明に覚えていて、時間がスーッとゆっくりになるというか、その時に座ってた部屋の様子とかすごく思い出します。

 

fans of Kenji Ozawa:脚本家・演出家 三谷幸喜さんビデオレター

三谷「「流れ星ビバップ」という曲がありまして、僕はあのー、ほぼそれしか知らないです。」

(小沢:笑)

(1996年3月、HEY! HEY! HEY!の「流れ星ビバップ」ライブ映像が流れる)

三谷「堂本兄弟という番組が以前ありまして、あの番組って必ず歌を歌わないといけないコーナーがありまして、僕が歌ったらとんでもないことになるだろうという前提のもとに探した中で、ヒットしたのが小沢さんの「流れ星ビバップ」でした」

(2013年、堂本兄弟での「三谷ビバップ」映像流れる)

三谷「すごくポジティブな気持ちになれるっていう、で、こう、歌詞を書き出してみたんですけど(ホワイトボードに歌詞を書き出してある)、えー、まず書いてみて思ったのが、言葉が多い。言葉の洪水だと。 …最初は普通に書いてたんですけど最後もうこんな感じ(殴り書き)になるぐらい言葉が溢れているっていうのを改めて思いました。

(小沢:楽しげ)

三谷「普通は、だから、A(メロ)があってAダッシュ、B、行ってCぐらいなのが、どんどん先に行く、一回も元に戻らない、サビからサビへというか、そういう、こう、気持ちよさみたいなものをすごく感じました。で、何かに似てるなっていうことを思ったんです。この曲です。」(ホワイトボード反転)

(小沢:真剣に見入る。「おお〜」)

三谷「「天城越え(表記:越へ)」。石川さゆりさんのあの名曲、これもFまで行くんです。全部サビといってもいいぐらいな感じ。「天城越え」の場合はどんどんどんどんぬかるみにはまっていくみたいなそれを表現していて、こっち(流れ星ビバップ)はどんどんどんどん前向きにポジティブに明るい表現になってるんじゃないかと。

で、歌詞がですね、素晴らしい。"真夏の果実をもぎ取るように僕らは何度もキスをした"、"火花を散らす匂いとまぼろし"…まあ、まったく意味はわからないですけども、気持ちなんとなくこう伝わってくるみたいな。で、あんまりこんな表現聞いたこともない。

でもそれだけじゃなくて、僕が注目したいのは、"きれいな月"。普通こんなにストレートな表現はしない。だけど、たぶんあの方はあえて、シンプルな部分には力強さがありますから、このシンプルな"きれいな月"と"火花を散らす匂いとまぼろし"が同居している、そこにあの、小沢さんのすごさというか面白さがあるんじゃないかと。」

(一旦VTR終わり、ホテルの場面に戻る)

小沢「うわあ、すごい…すごいですね。言葉っていうのは誰でもそりゃ使うことはできるんだけど…その、すごく追求していくとどんどんどんどん技術が高くなって、感性が高くなってというものだと思うんですけど、言葉を三谷さんはよく知っているから、人の…他人の言葉の、うーん、中に、その奥の動作っていうか、どうしてこうしたか、みたいなことがやっぱり見えるんだと思いますね。

言葉っていうのは信じることができるものっていうか、きちんと自分がもがいてもがいてちゃんも選んで判断すれば、それが他の人…すごく同じように言葉をとらえている人にはやっぱり届くんだなっていうことを思います。

で、三谷さん、もうほんとに、たぶん「流れ星ビバップ」一曲聴いて、僕っていう人と"ガッ"てつながったんだと思います。僕も実は他の人に対してそういう風に感じることがあって、他のミュージシャンでも一曲聴いてもうほんとにそれでわかってしまって、だからもう先(の曲は)聴く必要ないというか、ある意味。それで今聞いていてやっぱりすごく、それをピックアップしてもらったことが、とても嬉しいですね。」

 

(字幕:小沢健二に聞きたいこと)

三谷「この"真夏の果実をもぎ取るように"というのは、"キス"にかかるのか、"何度"にかかるのかっていうのは、わたくし歌ってていつも悩むんです。作られた小沢さんに伺いたいんですが、この歌詞の本当の意味、歌い方をぜひ教えてください。」

小沢「"真夏の果実をもぎ取るように僕らは何度もキスをした"っていうのは、僕もあそこよく考えるんですけど、たぶん"キス"にも"何度"にも両方にかかるんだと思います。」

 

fans of Kenji Ozawa:女優 二階堂ふみさん

(小沢「あー、来た〜!笑」←嬉しそうw)

(小沢健二さんの好きな曲は?)

二階堂「いろいろ好きなんですけど、でもやっぱり「今夜はブギーバック」がすごい…好きですね」

(「今夜はブギーバック」MV流れる)

二階堂「女の子が聴いて、あーなんかこんなこと言われたいなぁとか、いろんな人がこう、少女に戻れる曲なのかなぁって…思って、」

(MV流れる)

二階堂「♪心変わりの相手は僕に決めなよ、っていうところが、えーステキー♡って思って」

(小沢「ははっ」←嬉しそう)

二階堂「そんな、、そんなこと…⁈っていう」

(小沢「あーっ」←嬉略)

二階堂「知り合いのヘアメイクさんから、私がたびたびニューヨークに行くことになって、小沢さんが若い世代の人を応援したいって仰ってたよ〜みたいなところで、そこからこう繋がりを持ちまして、お会いするかもってなってたんですけど、その時タイミングが合わなくて、日本にいらした時にお会いして。

なんか、自分の人生は一度きりなんだから、いろんなことを見て、感じて、そして知ることっていうことの大事さも影響を受けたところですね」

(字幕:小沢健二に聞きたいこと)

二階堂「小沢さんへの質問は、最近一番お腹を抱えて笑ったことは何だったでしょうか」

小沢「えーっと、3歳の子供を持ったことのある方はみなさ…みんなお分かりかと思いますが、毎日笑うことばっかりですね。さっき、それこそ子供とFacetime(良い発音)で話していたら、子供が、えーっと、

"明日学校行って、

明日学校行って、

明日学校行って…"

って繰り返すから、あ、なんか僕が離れてるから日本語苦手になって、リピートしちゃうのかなと思って聞いてたら、

"そしたらパパを空港に迎えに行くんだよ"

って言ったんですよ。それで、おおー、っと思って、それは、「明日学校に行く」っていう行為で1日っていうのを数えていて、"1日っていうのは行為の繰り返しである"、"明日学校に行くっていう単位もあるんだな"と思って、すごく面白かったです。」

 

(Q.日本のお笑いは見る?)

小沢「えーっと、お笑いは、残念ながら…、友達に動画を送ってもらって見たりするんですけど、えーっと、わからない部分がやっぱり多くて、ある意味お笑いのみんなの笑うツボっていうのを共有できなくなっているのは少し残念なんだけども、でもそれは、別の共有するものを持つための代償だなと思って。

「ケーキを食べて、しかも取っておくことはできない」って言うんですけど、英語で(笑)。両方はできないことなので、だから、残念だけれど、お笑いの理屈はたぶん僕は分かっていないです。でも他のことは、すごく分かっています。」

 

fans of Kenji Ozawa:フジファブリック 山内総一郎さん

山内「まあ、「ぼくらが旅に出る理由」っていう(曲)ですね、アレンジであったりストリングスであったりブラスであったり、すべてがもう完璧すぎて。」

(「ぼくらが旅に出る理由」MV流れる)

山内「あの、"しばし別れる"というところは、2度と別れるわけではなくてしばしのさよならというか、とにかくこの曲が持っている、死生観じゃないですけど、メッセージだったりそういうものが、僕にはすごく響いていた時期でもあったんで。

はじめて(ライブを)見させてもらったのが、2012年とかで、一番残っていることを言えば、新曲がめちゃくちゃいい曲っていう…。なんで、早く録音してくれないんだろうと思うぐらい、いい曲ばっかりっていうのが…」

小沢「山内くんが仰っているのは、「東京の街が奏でる」っていう曲と、「神秘的」っていう曲を、えー、2012年には新曲として出したので、そのことで。「神秘的」はようやく、「流動体について」のカップリングとして録音しました。

「東京の街が奏でる」も録音したいと思うんですけど、自信がないから録音しないのではなくて、録音するとなったらきちんとしようと思うから。でもきっといつか、どこかのスタジオで、いつか録音したいです。」

 

(字幕:小沢健二に聞きたいこと)

山内「歌録りの際に…ボーカルレコーディングの際に、何かこう、気を遣っていることとか、これは毎回やるな、というクセみたいなものはあるんでしょうか」

小沢「どういう風に音を録るかっていうその元の、マイク。マイクっていうのは、写真でいうカメラみたいなもので、マイクがあって、歌っていう動作があって、それをこうマイクが捉えるんですよ。その時にどういう風に捉えるかっていうのはすごく大事なことなので、きちんとマイクを当てて、こうやったらこういう音になるっていうのは、きちんとしたスタジオの中でモニターをするっていうのはすごく大事なんですね。

でもその代償は何かっていうと、じゃあそういうすごく人工的な空間で歌を歌わなきゃいけないっていう、そのジレンマがあって。本当はあの、家で、こうマイクを持って例えば歌ったりしたら、歌によってはそのほうが良いんだと思います。

でも、音をきちんと録るためにスタジオのの中に入るわけだから、なんか、無理に自然に歌おうとかじゃなくて、自分が、その自分の歌の写真を撮っている状況をなるべく楽しむようにしています。」

 

(字幕:歌い方について)

小沢「えーっと、歌い方は、そんなにどうしようこうしようっていう作為的なものは無いんですけれど、でもその時の歌い方っていうのはやっぱりあって。

「Eclectic」は「Eclectic」の歌い方だし、「強い気持ち・強い愛」は「強い気持ち・強い愛」の歌い方だし、やっぱり歌詞とかに合ったことをすればいいかなと思って。自分が書いたものを自分が読んでいるということなので。

上手いとか下手っていうのはほんとに分かんなくて、えー、僕は下手なんでとかって言うつもりもさほど無いんですよ。っていうのは、やっぱり言葉が…言葉、あるいは心情を届けるっていうのが歌の目的なので。それを達成できるかできないかだと思うんです。それを達成できる限りは、別に、それでいいんだと思います。」

 

fans of Kenji Ozawa:漫画家 岡崎京子さん(絵)

小沢「LINER NOTESでいろんな方がコメントを出してくださるっていう時だったんですけれど、とにかく、本当はコメントの中に岡崎京子さんがあるのがたぶん正しくて、岡崎さんはほんとに昔から僕のいいところを褒めてくれつつ、すごい何ていうのかなあ、わかってくれる…くださる人で。ただ、今、コメント出す…今、岡崎さんコメント出さないので。でもなんか岡崎さん入ってたらすごくいいねって思って、それで岡崎さんに聞いてみたら、「森」という、あの絵は「森」という、最終回がまだ未完のやつなんですけど、未完のやつの絵を貸してくださるということで、で、それの前で岡崎さんの好きな「ドアをノックするのは誰だ?」を演って、で、春の夜…にあれを聴いて、岡崎さんの絵を見るのがすごくいいかなと思って。それを一緒にGAMOさんとやったらすごく楽しいと思って。それで、「ドアをノックするのは誰だ?」です。」

 

「ドアをノックするのは誰だ?」演奏

メンバー紹介

小沢「小沢健二(挙手)。スカパラGAMO(GAMOさん:サムズアップ)。携帯電話(指差し)。そして絵は、岡崎京子(絵を指差しながら)。」

(岡崎京子さんの絵の前でアコースティックなドアノック演奏。)

 

fans of Kenji Ozawa:cero(荒内佑さん、高城晶平さん、橋本翼さん)

高城「作品によってけっこう、コンセプトっていうかやることを変えたりして、「毎日の環境学」なんてもうね、歌も無くなって、そういうのすらヒットチャートに乗っかったりとか、ちょっとした革命みたいなことを起こしているっていうのは、すごい面白いなあと思って。」

(小沢:照れくさそう(?))

橋本「パッと聴いて、まあ、キャッチーだから、オザケンオザケンっつってみんな楽しめるんですけど、ちゃんとその背景というか元ネタだったりルーツも聴いていいなと思って、そっから本当に好きなものを探すみたいな、バトンを繋いでくれるような」

小沢「過去のものもそこから遡って聴けるみたいなことは、特に90年代はやっぱりすごく意識しました。元ネタとかっていうけど、それは盗むみたいな全く無くて、アレの曲ってコレなんだよね、みたいな風にやって、どんどんみんなで音楽を楽しめたらいいなと思って。それは実際にそうなったんですよ。僕の元ネタだったから再発が出たり有名になっなりする曲があるっていうのはすごく楽しかったし、今も良かったなと思います。

けれど、今はそういう、そこではなくて、もっとその、自分が録音するっていうことに集中して。自分が書いた曲そのままを、そのまま、♪ジャジャッ、ジャジャッ、ジャッジャジャジャッ(流動体イントロ)とかっていう、元ネタ無いんですよ。そういう気持ちだからやってるだけで。だからつまんないって言えばつまんないんだけど、今はそういう風に作ってます。」

 

(Q.一番好きな曲は?)

荒内「「愛し愛されて生きるのさ」ですね。すごいなーと思うのが、最後の"さ"ですね、生きるのさ。"さ"。」

(「愛し愛されて生きるのさ」MV流れる)

荒内「これが、例えば、「愛し愛されて生きるのだ」とか「愛し愛されて生きるのです」とかだったら、めちゃくちゃ重いですよね。」

(小沢:笑)

高城「宗教くさくなる」

荒内「宗教くさくなる。あの、真理をくったあとに、ちょっと"てへぺろ"ですよね。」

高城「サーっと(?)軽くしてるから、そうやって」

(小沢「てへぺろって言うんだ…笑」)

荒内「ちょっと刻むっていうか、そのバランス感覚ですよね。素晴らしいなって思います。小沢さんにしか言えないことだなって。」

 

橋本「僕は、「ホテルと嵐」っていう、聴いたことのない音楽だったから、当時その、タワーレコードに行って、ジャズコーナーに行って…普段行かない、その店員さんに、「ちょっとこれ聴いてください」って言って、「ホテルと嵐」を流して聴いてもらって、これみたいな音楽ありますかねって聞きに行ったんです」

(小沢「ああー…」(感嘆))

高城「笑。いい…いい!」

橋本「それぐらいなんか、○○(聞き取れず?)する音楽を知らなかったから。」

 

高城「「1つの魔法」がとても好きですね、はい。自分たち、ceroでもカバーしてるんですけど、その「Eclectic」っていうアルバムがすごい好きで。即、けっこう、影響を一番受けたなっていうのがそこで。まあ、10年ほど前に、あの、出てたモンだけど、今まさに自分たちが向かおうとしているところにある、ほとんど唯一と言っていいような、日本語のアルバムで。これはなんかちょっと今カバーしておきたいなと思ったんですよね。」

(小沢:真剣な眼差し)

(cero「1つの魔法」カバーが流れる)

小沢「こないだライブにいらした時も、ほんとにその、拍子がこうなってるとかっていうのを、すごく、それこそ数学的にみんな、はじめて聴いた曲なんだけど、数えてて聴いていて、だから作曲の話を3人とするのは本当に楽しいです。」

 

(字幕:小沢健二に聞きたいこと)

高城「「Eclectic」とか「毎日の環境学」だったりっていう作品が、今の小沢さんの作品だったり活動だったりに活きている点って、どこにありますか?」

小沢「もちろん「Eclectic」と「毎日の環境学」が無かったら、「流動体について」は絶対に無いので。そうですね、もうほんとに細かい、コーラスの重ね方とか、低域の使い方とか、もうほんとにいっぱい…たくさんあります。」

 

橋本「なんでまたポップスをやり始めたのかなっていうのがすごい気になってて。」

小沢「この、ceroの3人みたいな人がいるので…もうほんとに、それが全てです。なので、こうやってポップスを作ろうかなって思うし。」

 

荒内「小沢さんが今までした、一番悪いことを(教えてください)。テレビで言える範囲で(笑)」

小沢「ぉおお〜(困惑)、…言える範囲で、ですよね。あんまり悪いこと、してないですけど、でも振り返るとやっぱり、それこそ、ここに泊ま…逃げ込んでた時なんていうのは、ほんとに無茶苦茶…無茶苦茶な、今思うとほんとに無茶苦茶もいいとこで、今の2017年の世の中だったらありえないぐらい無茶苦茶な、あの、なんていうのかな、行動をしていたので。でもそれをやんなきゃいけないっていう……、悪いことをやんなきゃなんないっていう時もあるわけで。それを含めて、どういう風に生きていくかだから…うん。それはほんとにでもその時にそれを許してくださった方にほんとに、こんな偉そうに座ってられない(笑)。(居ずまいを正しながら)

ほんとにありがとうございますってい感じです。」

 

fans of Kenji Ozawa:スチャダラパー Boseさん

Bose「ほんとにそういう雑誌の企画で、初めて会ったんですよ。フリッパーズスチャダラパー会わせてみようって言って。それこそ、悪口ばっかり言って。お互いなんかいろんな奴の。」

(小沢:バツが悪そう)

Bose「遊ぶようになったのは、小沢くんが特にサンプリングに興味を持ったりして、ヒップホップの、そういうのどうやって作ってんの?とか言って、ANIとSHINCOの実家に遊びに来たりして、そっからよく遊ぶようになりました。」

小沢「「ラブリー」にせよ、「愛し愛されて生きるのさ」もそうだろうし、その、ヒップホップみたいなビートに乗ってみたいなことが、でも普通に生演奏に聞こえるような音像。それが今の「流動体について」もそうですけど、それはすごく得意にしているというか…音像だと思うんですけど。それはほんとに初めて僕がSHINCOくんとANIくんの部屋に行って、SHINCOが教えてくれたんですよね。

今振り返ると、僕より年配のミュージシャンってなんかけっこう隠してたんですよね。で、それもそれでわかるんだけど、なんかケチくさいなと思って、僕は隠さないようにして教えちゃうんですけど、SHINCOくんがまさにそれで。全然、「こうやってこうやって」とかって作業して見せてくれて。」

(「今夜はブギーバック」MV流れる)

 

Bose「そうっすね、その辺の時マンション同じとこで、小沢くんはとりあえず1人で作業してるから、煮詰まると僕ら3人のとこ来て、「何やってんの〜?腹減らない?」みたいな(笑)」

(小沢:笑)

Bose「よく、だからねぇ、そこに来て歌詞考えたりしてましたよ。3人でこっちでやってる時に、ワイワイ、1人でそっちでみたいな(笑)。そうやって歌詞考えてることよくありましたよ。」

小沢「先にスチャダラが、こういうラップをするからっていうラップの歌詞がまず来てて、それで、無茶に振るんですよ。♪こんな曲だった、ってその先にバーンって来てねみたいな(笑)。

それでその♪こんな曲だった、の後に来るメロディを作っていて、♪包むよなハー(モニー)、ってこの"ハー"の音なんですけど、この一音が出た時に、周りが全部ゆっくりになって。この"ハー"ってやった時の"ハー"がものすごく長い時間で。その時にパーっていろんなことがわかって、あ、出来た、この気持ちだ、って。今でも触れたその感触がそこにあるぐらいですね。そのぐらいあの音は大きくて、♪包むよなハーモニー、なんて一音って大事だろうって思います。」

 

Bose「「さよならなんて云えないよ」っていう曲は、あれって僕あの一緒に遊んでた時のあの風景だっていうのとかが出てくるような部分があったりするんだけど、」

(「さよならなんて云えないよ」MV流れる)

Bose「"本当はわかってる 2度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れてゆくと"っていうとこが、その瞬間にフッと引いても見てるし、だけどなんか別に悲観的な目線ではなくて、だからこそ今が輝いてるっていうのをちゃんと切り取れてるっていうのが、すごくグサリと心に残ってますね。

この曲に関してはタモリさんがすごく好きでね。タモリさんがこれを好きだっていうのもすごいなって思ったし、」

小沢「Boseくんが言っているのはここの場面のあの時のこのことだっていうのは、全部わかります。「さよならなんて云えないよ」っていう曲にある、ある意味前向きなポジティブな感じっていうのは、やっぱりその裏に冷たくて、乱暴で、怖いことっていうのを抱えてないと出ないので、でもその裏に怖くて乱暴で冷たいことがあるっていうのを、タモリさんとかBoseくんっていうのはやっぱりきちんと感じ取ってくれるんですよね。」

 

(Q.一番好きな曲は?)

Bose「「ある光」っていうのは、これはそれこそもう、まあね、プライベートなことはあれだけど、僕らも側で見ててその頃ってわりと…あの、大丈夫かなっていうかどうなっちゃうかなっていう感じもあったんだけど、まさにどうやって向かっていくかみたいのをほんと赤裸々に曲にして、本人はいなくなってしまうっていう、これがねぇ、ドラマ的にもすごいし、自分らは側で友達としても見てたから、なんか泣い…泣いてしまうような」

(小沢:涙をこらえる?真剣な表情)

(字幕:1998年 活動休止 渡米)

(「ある光」MV流れる)

Bose「誠心誠意、あの、ボロボロになるまで表現を追求してしまうタイプの人なので、その賢い頭をフル回転している状態がずーっと続いているような、本当に続けてしまうんで、このままだったらちょっとぶっ壊れんなみたいな、側で見てても思うようなね。だからこれがこういう風に形として曲になってなかったら危ないよね、みたいな。とか、これを無理してこの後もまだ続けるようなことがあったら危険だったよね、とかっていう風に思いますよね。友達として、ファンとして。」

小沢「(感に堪えた表情でため息、軽く舌を出す)。やっぱりそんなに無理をする状況に行かないようにしたみたいなことがあるんですけど。で、今僕がその後過ごしてきた僕の生き方っていうのは、それが全てで、それが無かったっていうことはありえないし、もし無かったとしたら今頃本当に不安で、どんなになってるんだろうなと思いますね。そう思うと怖いですけど。」

(字幕:2010年 13年ぶりのツアー「ひふみよ」開催)

小沢「えーっと、「ひふみよ」の初日に、一番頭「流れ星ビバップ」なんですけど、で、その時は本当にゆっくり、まるで歌詞を一語一語読んでいるように一番が進んで行って、実際には1分ぐらいだと思うんですけど、なんか10分ぐらい歌詞を読んでたような感じで、すごくゆっくり歌い始めたのを覚えています。」

(スタッフの方より、ひふみよの時はBoseさんも涙を流したという話を振られ)

Bose「(笑)まあ、あれはあれだね、お客さんに泣かされた感じはした。小沢くんという中心みたいなものを失って、でもそれぞれがやっぱり自分たちで立って頑張んなきゃいけないっていうつらい別れや何かがあったりして、ここに、なんかみんなで辿り着いたっていう空間だったと思ったから、本人もそれをいただいちゃって泣いてたと思うんだけども。」

(小沢:すでに泣きそう)

小沢「僕自身もあれをやって、なんていうのかな、すごくいっぱいもらったものがあって。すごくいいツアーだったと思います。」

(字幕:小沢健二に聞きたいこと)

Bose「その、やっぱりたまに帰ってくると、日本ってほんとに、すごいいいとこがたくさんあって、「肉まんヤバイよ!」とか、「あんなの、コンビニでいつでも肉まんが買えるなんてめっちゃクール」とかってよく言うんだけども、でもやっぱり、ちょっと長く日本に滞在すると、やっぱここしんどいわ、っていうかこれ嫌なんだよな、良くないなっていうことは、何かありますか?」

小沢「うーんと、その、日本にもともとある「出る杭は打たれる」とか「人の足を引っ張る」とか、そうやって平等になろうとする社会っていうのは、いいところもあると思うんですよ。でも、やっぱりそれだけじゃいけなくて、もうちょっと違う人をそのままほっといてあげるっていうか、ちょっと「…ン?じゃあどうなるかな、見てみよう」ってほっといてあげる寛容さみたいなもの、両方無いとダメだろうなと思います。」

 

(字幕:「流動体について」を聴いて)

三谷「やっぱり長く仕事をしてると、僕もそうなんですけども、今までの自分と違うものを表現したいみたいな気持ちになるじゃないですか。ただ、ファンの方々っていうか受け手の人たちは「あの頃の作品が良かった」とか、その折り合いを付けていくのがすごく難しい。その答えがここにあるんだなと。」

二階堂「こんなに生命力あふれる今の小沢さんっていうものを打ち付ける方ってすごいなあと思って。」

高城「歌詞がすごく僕たちが作っているものに近いというか、プライベートなお手紙のような感じで聴きまして、なんだか不思議な気分ですね。」

(小沢「ふふっ」←嬉しそう)

Bose「「ある光」の続きじゃん! 「ある光」の続き、聴かしてくれんの?みたいな。で、もう「間違い」ってはっきり言ってんだ、みたいなのはけっこうショックだったりね。「間違いだった」ってはっきり言ってんだから。」

小沢「♪間違いに気がつくことがなかったのなら〜、っていって、これが世界なんだよ、って言っちゃうっていうのは、すごく答えとして正しかったし、ある意味なんかヤケクソ的な部分がたぶんあって、僕はあれ出た時やったな、と思いましたね。」

(「流動体について」、魔法的バンドで生演奏)

 

(Q."小沢健二"で好きな曲は?)(本人への質問)

小沢「好きな曲か…なんだろ、「天使たちのシーン」っていう曲は、僕いまだにすごい好きで。ライブで演っても、最近はギターだけでこうやって演ってるんだけど、何回歌っても、あーやっぱここいいなっていうところがありますね。でもすごい昔書いた曲だから、まだそれなのかよって思うかもしれないけど。うーん、なんかねえ、好きですね。」

(Q."小沢健二"のこれから)

小沢「せっかくなので、何かしようと思います。でも、きちんと生活しながら、やろうと思います。なんせその26歳とか27歳でこのとんでもない高級ホテルにいて、ずっといて。そこからテレビ局にいって、なんか歌を歌って、またここに帰ってきてっていう。すごいもしかしたら華やかなことかもしんないんだけども、でもやっぱ無茶苦茶なことなので。それは、その時とても面白いと思ってやっているんだけども、やはりすごい危険なことで。でも今は何かやろうっていうときは、きちんとした生活をしてきちんとご飯を作りながら、やんなくちゃいけないなと思います。…ありがとうございます。」

収録終わり、

小沢「ものすごいエモいやつになっちゃいましたね。こんなはずじゃなかったのに(笑)。いやー、もうどうすんですか、このヘビーヒット。」

 

2017年2月24日「NEWS ZERO」小沢健二出演コーナー文字起こし

NEWS ZERO

「ZERO CULTURE」のコーナーに小沢健二さん出演。(キャスターの村尾信尚さんと対談)

以下、出演部分の文字起こしです。


村尾「世界の何を見て、何を感じたのか、テレビで初めて語ってくれました。」


会場へ向かう前の小沢ワンショット

(テロップ:テレビでの対談はいつ以来ですか)

小沢「1998年に小泉今日子さんとワインの対談をしたのが最後で、そのあとにテレビに一本出て、そのあとずっとテレビに出ない時間が続きました。よろしくお願いします」

(階段を上がり村尾さんが待つ会場へ)

村尾「初めまして、村尾です」

小沢「初めまして、よろしくお願いします」

村尾「今日は楽しみにしてました」

小沢「楽しみです。よろしくお願いします」

(紹介VTR:愛し愛されて生きるのさ、ラブリー、ぼくらが旅に出る理由(1996年、FANの映像)、カローラIIに乗って)

村尾「小沢さんは20代から日本を離れるわけですよね。これはどういう心境で海外へ行こうと?」

小沢「何でか、アメリカのブルースとかアメリカの文学とかが大好きで、どうしても、住むチャンスがあるんだったら住みたいっていうのは、単純に、子どもの頃からありました。

それで、ある時期、もう本当にたくさん録音(レコーディング)して、たくさんっていうのは数がたくさんっていうことではないんですけども、ものすごく音楽にいろんなことを詰め込んで、それをやった反動みたいなのがやっぱりあって、やっぱり、ほんと、なんだろ… ボロボロになっちゃうというかそういうのはあって、どうにかしなきゃというのがあって、ただある意味自分は投資をされている身というか、スターになるっていうことで投資をされている身なわけで、それを突然、しないっていうのは…続けないっていうのはけっこう難しいことなんですけど、それでもやっぱり(アメリカに行って)なぜ自分がこういう音楽や文学が好きかというのをすごく知ることができたのは、なんかすごく落ち着く気持ちを作ってくれています」

村尾「実は大統領の投開票日に私もニューヨークにいたんです」

小沢「あっ、そうなんですね」

村尾「トランプ大統領を生み出す風土というのは感じていましたか?」

小沢「もちろん。あのー、トランプ大統領っていうかたちで、明らかなビジュアルでボンッと出たことですけれど、新しく起こっていることではなくて、民主党を選んでも共和党を選んでも、コーラとペプシを選んでいるような状態になってしまうっていうのは、構造的にずっとあったことだと思います。

マイケル・ムーア(監督)が面白いことを言っていたんですけど、その、無力感があまりにも多い中で、その(投票所の)カーテンが閉まった瞬間に、外ではどんな綺麗事を言っいても、「くそくらえ!」っていうやつが絶対いるって、ずっと、選挙の前からよく言ってて、その気持ちっていうのはすごくわかります」

(VTR:都内のレコードショップの映像〜流動体の歌詞「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」を引用)

ナレーター「まるで、過去の自分に問いかけるような表現となっている」

小沢「村尾さんは、間違いになんか気がついて、あっ、これは間違いだったと思って直したことって何か…(ありますか)?」

村尾「間違いに気がつくことは何回もありますね」

小沢「ね。間違いに気がつくって、大事ですよね」

村尾「大事だと思いますね」

小沢「間違いに気がつくっていうので言うと、アメリカに住んでいると、その、日本人っていうのは、英語の文脈の中で謝りすぎるっていうのがあって。いつもこう"I'm sorry."とか言ってるとかっていうのがあって。今のアメリカの後を追っているグローバル社会っていうのは、なんかこう、謝っちゃダメだ、謝ることは自分の非を認めて責任が発生するから謝らないようにしなさい、みたいなのがあって。僕は日本に来てみんながすごく謝ってお辞儀をしているっていうのはすごくいいことだと思っていて。自分はそんな大した存在じゃないっていうのを思っている(持っている?)のは、すごく大事なことだと思うんですよね」

村尾「アメリカにいると、日本の芯というか、それが見えてくるということですよね?」

小沢「そうですね。日本が一番見えてくるというか、それがすごく細かくくっきりと見えてきて、今の日本の教育を受けていると、“外国”っていったときに、あのー、本棚にある本を見ても、必ずヨーロッパとアメリカの本がズラーッと並んでいるみたいなのがあるけど、他に180何カ国とかあるわけで。で、僕と妻はヨーロッパとアメリカじゃない国でトータルで3年ぐらい旅行していて、で、その中から、欧米社会というのはかなり特殊なものだなというふうに思うようになりました」

(VTR:旅の写真〜執筆活動紹介〜デモの話)

村尾「印象に残っている地域や人々、思い出に残っている地はありますか?」

小沢「えーと、ペルーとかボリビアとかそのアンデス山脈のほうでは、そのー、街にいても、都市にいても、すごく昔からの民族衣装を着て、暮らしをする人がたくさん街の中にもいるんですけれど、貧しい格好でいるなと思うんですけど、そうではないんです。伝統衣装を着てるっていうのは、すごく、高いお金がかかることなんです。時間もかかるし、手間もかかるし、わー、あっちであのTシャツとジーパンにしちゃえば10ドルで済むんだけどっていうふうにならないで、本当にすごく一生懸命稼いで着なきゃならない伝統衣装を着ているっていうのは、やっぱり素晴らしいことなんです。それを着ることの誇りと一緒に生きていくみたいな…。

なんでも欧米の基準に揃えて考えることはしなくていいと思うんです。僕はこの間新聞に「ビバ、ガラパゴス!」っていう文章を書いたんですけれど、ガラパゴス(化)って、なんて希少で、貴重で、稀で、不思議で、なんて素晴らしいものが残っているんだろうと思って。それこそすごくきちんと謝るとか、いいところがたくさん残っているなあと思って。日本がこんなこともできるよ、僕たちはこういう考え方を持っているよ、私たちのこういう考え方ってすごくいいよ、っていうのは、たくさん提示できるものがあると、すごく思います」

(対談VTR終了〜スタジオで)

村尾「あのー、VTRを見ても分かるように、小沢さん、私の問いかけに一つ一つ誠実に答えてくれるんですよね。小沢さんは、社会や人間を見るときの視点の位置や角度がとてもユニークな人だと思うんですね。その視点から眺める風景を、時には音楽という形で、また時にはエッセイという形で表現していると思うんですね。1時間程度お話を聞いたんですけど、話題は尽きませんでした。小沢さん、またお話を聞きたいと思う人です」


2017年3月1日「スッキリ!!」小沢健二出演コーナー文字起こし

3月1日(水)、朝のワイドショー・情報番組「スッキリ!!」(日本テレビ系列)内のコーナー「HARUNAまとめ」に小沢健二さんが出演。

MC:加藤浩次近藤春菜ハリセンボン
サブMC:森圭介岩本乃蒼日本テレビアナウンサー)

以下、小沢健二さん出演部分の文字起こしです。


春菜「ということで、本日のスペシャルゲスト、小沢健二さんです!どうぞー。おはようございます」

小沢健二登場(BGM:ラブリー)

加藤「どうですか、朝は強いほうですか」

小沢「えーと、僕まだ時差ぼけが治っていないので…」

加藤「あー、向こうから帰ってきたばかりで」

春菜「ニューヨークから」

小沢「はい、今ちょうど調子がいいです」

加藤「じゃあ、今整ってる状態で」

春菜「夜の感じなんですね。あー、じゃあ良かった。お二人は初対面ですか?」(そうです)

加藤・小沢「あ、どうも初めまして」

春菜「世代も近いということで」

加藤「小沢さんのほうが一個上ですけどね。いやいや、もうもう…世代が一緒でもそんなそんな…(恐縮)」

春菜「19年日本での活動ではなかったということですが、「スッキリ!!」は…」

小沢「存じあげなくて(恐縮)。この汐留のビルも本当に初めてで。麹町のあの…」

(以下、麹町スタジオの話(駐車場が暗いなど))

春菜「本日は今から生歌を披露していただくということですが、朝生で歌うっていうのは初めてでいらっしゃるんですか?」

小沢「はい、そうですね。楽しみです。大丈夫です、今、時差ぼけの体調なので」

加藤「今全然テンション上がってる状態ですもんね。良かった~」

春菜「まずですね、歌っていただく前に一緒に小沢さんのVTRを見ていきたいと思います」

(過去映像 天気読み~ブギーバック~ラブリー~ぼく旅~ウキウキ~カローラ
カバーしたアーティスト紹介~KREVAのコメント)

春菜「多くのアーティストに歌い継がれる小沢健二さんが、今年19年ぶりにシングル曲をリリース。(♪流動体について)
この後、生歌披露!そしてなぜ突然日本での新曲発売を決意したのか、その思いに迫ります」

(CM)

加藤「さあ、いやー、こうやって振り返るとね、髪型一切変わってないですね」

(笑)

小沢「そうですね」

加藤「何かこだわりあるんですか?」

小沢「いや、でもその間にいろいろあるんですけど、一回完全に全部色を抜いて青くしていたことがあって」

加藤「えー、それはニューヨークでですか」

小沢「僕は自分ですごくかっこいいと思ってたんですけど、でも周りは「ちょっと違う」と…。」

加藤「最終的にこれ(今の髪型)に落ちついて」

小沢「戻っ…、いろいろあってこれに落ちついて」

加藤「そうなんだ、そこは俺らは見てないから」

春菜「19年ぶりの日本でのシングルリリースということですけども、まずは、1998年、なぜ突然音楽活動の拠点をニューヨークに移されたんですか?」

小沢「えーと、ニューヨークというか…今すごくよく聞かれるんですけど、やっぱり、今のビデオ見てても、無理ですね。あれを続けるのは」

加藤「なぜですか?」

小沢「んー、やっぱり、僕は作る側の人間なので、ずっと「出る、出る、出す、出す」とかプロモーションとかはやっぱり無理だったと思うんですよね」

加藤「アウトプットが多すぎるというか」

小沢「あ、そう、そうなんです。僕は本当インプットが好きな人間なので、それで、あの、大学でもそういうインプットが好きで勉強していて、それがたまたまアウトプットのほうがやっぱりすごくわーっとウケて、それは本当すごく嬉しい、今考えるとありがたいことだけども、やっぱりアウトプットが続かないというか…」

加藤「んー、そうすると、やっぱり日本を離れてインプット、いろいろ勉強したいというのもあったわけですか」

小沢「そうですね。そこはもう変わらないです。大学でもアメリカ文化を勉強していたので、その後だから突然ヒマラヤに行って…というのは無くて」

春菜「アメリカ行かれて、どういった生活をされてたんですか?」

小沢「アメリカですか?本当、勉強はずっと続いています、今も続いていますし。人間ってやっぱり自分だけでできるものじゃなくて、周りの影響でできるじゃないですか。それでやっぱり今の日本だとアメリカからの影響がみんなすごく強いんですよ。言葉もどんどんカタカナの言葉になっていって、会社もどんどんグローバル化して。そういう中で自分が作られてるんだけど、それをやっぱり理解しようと思ったら、そういう社会の仕組みっていうかアメリカなるものの構造を知らないと不安になると思うんですね。だから僕は今すごく不安が無いです」

加藤「なぜこうなってるかっていう理由がわかるわけですもんね」

小沢「そうですね。すごく。だから本当それを知れて良かったし、そこに、もう…人なんて一回しか生きないですからね」

加藤「もう自由にやりたいことやって」

小沢「知りたいことを知って、思うこと…うん、変えなきゃと思うことがあったら変えていいんだと思います」

春菜「で、アメリカの生活の中で、ご結婚も…」

小沢「そうですね。妻が…はい。アメリカとイギリスの半分半分です」

春菜「ご結婚されて変わったことはありますか?」

小沢「えーと、そうですね、面白いです。だから去年のツアーで新しい曲を7曲やったんですけれど、僕はシングル出すのはすごく久しぶりなんですけど、ツアーの現場はすごく好きで、で、あの、新しい曲やった時も、どんどん新しい素材が、子供とか結婚によって増えてます」

加藤「お子さん、今お二人ですか?」

小沢「はい、そうです。3歳と6ヶ月の赤ん坊(背丈のジェスチャー)と2人います。とても面白いです」

加藤「ね、一番可愛い時ですよね。で、この、日本に戻ってきたっていうのは、けっこうインプットが増えて、アウトプットしようかな、みたいなことですか?」

小沢「そうです」

加藤「そういうことなんですね!じゃあ、アメリカでいろいろこうインプットしたので、日本で吐き出して、作品を作っていただけるんですね」

小沢「もう、すごくきれいにまとめていただいてありがとうございます(笑)」

加藤「なにをおっしゃいます(笑)」

春菜「さあ、そんな新曲はどんなテーマになっていますか?」

小沢「このテーマは、もしかするとすごくスローなテンポで、大人が酒場で歌うような曲なのかもしれないですけど、それをすごくアップテンポでやってます」

 

♪「流動体について」歌唱

 

加藤「ありがとうございました!バンドの方ははしゃいでる(衣装など)んですね」

春菜「そうですね、ちょっとラテンな感じで(笑)」

(キーボードの森俊之さん映る)

春菜「ありがとうございました~!素晴らしかったです。「スッキリ!!」メンバーで大ファンの方がいらっしゃいまして」

加藤「2人いるんですよ」

春菜「宮崎(哲也)さんと森さん(森圭介アナウンサー)、もう大ファンで。どうでした?生で(聴けて)」

宮崎「も~、「スッキリ!!」に出てこんなに嬉しかっ…良かった…もう本当に…。涙出てきたっすよ。もう20代の後半からずっとファンで、小沢健二の詞と曲を糧に生きてきたと言っても過言ではありません」

森アナ「私、人生で一番聴いたのが小沢さんのCDで、今日は本当に、神に会えた気持ちです」

宮崎「レジェンドですよね」

小沢「僕は本当に聴き手に恵まれていて…聴いてくださる方が素晴らしいので、それだけで(活動が?)出来てます」

加藤「今回の曲「流動体について」という曲なんですけど、これはどういったメッセージが込められてるんですか?」

小沢「んー、メッセージ。なんか全体にすごく「お話」ですよ。それでなんかシングルがヒットチャート2位!とか言われたんですけど、冷静に考えるとそんな曲じゃないです(笑)」

加藤「なぜですか?」

小沢「やっぱりすごく難しいし、ものすごく言葉が多くて、1つの…なんか短編小説みたいに書いてるやつなので。でもあの…そんな曲じゃないですって言いましたけど、そういう風に聴いてくれる方が多いっていうのは、やっぱりすごく文化程度が高いんだなと思って、すごく嬉しいです」

春菜「本当に皆さん、待ってた!っていう感じなんですけれども、今後も日本でアウトプットして…いただけますか?」

小沢「うん、インプットがたくさんあるので、なんかできると思います」

春菜「うわー、楽しみです!じゃあ今日、あの、せっかくですから、ファンの皆さんにメッセージいただいてもいいですか?」

小沢「えー…ファンの皆さんですか。今言ったんですけれど、本当に今会うと、中学や高校の時に僕を聴いてた人の質の高さがもうすごくて、恐縮するばかりです」

加藤「これ、もう、こんなギャラリー多いの、レディーガガ以来かな(笑)」

春菜「でもちょっと…泣いてる方もね」

加藤「泣いてる女子がいるのよ、ハンカチ顔に当てて」

春菜「見たことない方も…」

加藤「え、「スッキリ!!」のスタッフの方ですか?」

(違います)

春菜「違うんかーい(笑)」

加藤「では、第二期小沢健二さんになりますね、待ってる人も多かった…

(小沢:第二期のくだりにはやや首を傾げる様子)

…と思いますけど、どうなんでしょう、それは」

小沢「いや、もう、あの、すごく気持ちいいです。今回来て、いろんなところに出て。新しい日本をすごく吸収してます」

春菜「またぜひお待ちしてます」

小沢「ありがとうございました」